ポエジー代表ミズノのホントノトコBLOG

このページは、独立時(2015年5月〜)のブログのアーカイブです。

旧ブログタイトル:「ポエジー代表ミズノのホントノトコBLOG」

 

 

カウンセラーはその人を正しく映し出す鏡でなくてはならない。

自分の道が見えた2014年の年末、年が明けてから無料カウンセリングというものをはじめました。2015年1月からだから、5ヶ月ほど、20人ちょっとの人を見ました。


やっていることは、広く言うと人生相談です。その人の悩みを聞き、解決策をいっしょに探していく。その際に、ストレングスファインダーのような性格診断ツールや、デザインの手法を使っているというのが、一般のカウンセリングと違うところでしょうか。


そもそも、カウンセリングが何であるかもわからず、とりあえず名前をつけにゃわかってもらえないだろうということで、いくつか探した言葉の中から、一番しっくりくるカウンセリングを名乗っているのでした。だから、自分がカウンセラーであるのかどうかは、よくわからない。


そんな状況ではあるのですが、無料カウンセリングをしているうちに悟ったことがあります。


カウンセラーはその人を正しく映し出す鏡でなくてはならない。


カウンセリングとは、一方的に方向を指し示すものではなく、対話の中から気づきを得てもらうものだと僕は思っています。つまり、対話の中から、心の奥の言葉を引き出す。性格診断ツールで本来の自分を見える化する。それを見た本人が、自分を知り、どの方向に進めがいいのかを知るというもの。


カウンセリングがそんなものだとしたら、カウンセラーは鏡になっているんだと思ったんです。


人は、鏡がなければ自分がどんな顔をしているかを見ることができません。鏡があってはじめて、自分がどんな顔をしているかがわかる。湾曲した鏡であったり、曇った鏡だったとしたら正しい姿は映しだされません。


カウンセラーが、その人を正しく映し出す鏡でなければ、その人の真実を映し出すことはできない。つまり、その人が求めている本当の真実にはたどり着けない。


だからカウンセラーは、世界の原理原則を知っていて、フラットな意見を返すことができる。自分の主観を含まず、良し悪しのレベルではなく人の特徴を語ることができる。そんな人でなければ、つとまらないのではないかと思いました。


偉そうなこと言って、じゃあキミはできてるのか?って言われれば・・・まっすぐ真実を映し出せる鏡になれるよう、自分を磨いているところです。まだまだ先は遠いですが。

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人が色鉛筆のように見える。良い色も悪い色もないんだって思える。

人が色鉛筆のように見える。


2015年の年始に、東京で開催されたストレングス基礎コースに参加しました。ストレングスファインダーの学びの場です。


ミズノの参加レポート:東京まで夜行バスで出掛けていって、ストレングス・ラボ主催「ストレングス基礎コース」に参加したメモ。


講座の参加者の方が言っていた言葉で、とりわけ印象に残っているのが「人が色鉛筆のように見える。」です。僕もその方も「個別化」という資質を持っています。「個別化」とは、人それぞれの個性に目を向け、個性を最大限に活かすことを良しとする性質。同じ「個別化」を持っていることもあり、僕も「人が色鉛筆のように見える。」という言葉に、確かにそうだ、と強く頷いたのでした。


それからしばらくして、カウンセリングも20人を超え、人についてのグラデーションがより顕著に見えるようになってきました。人はみんな、ひとつとして同じ色を持っていはいないのだけれど、この人とこの人は近い色を持っているなー、この人とこの人は真逆の色だ、なんてのが感覚的にわかるようになってきました。


良い色も悪い色もないんだって思える。


それで、最近強く思うこととして、良い色や悪い色はないんだってこと。12色の色鉛筆を目の前に並べられて「良い色から悪い色の順に並べてください」って言われてできますか?「好きな色から嫌いな色」なら並べられると思うけど、色に良い悪いはありませんよね。


人はそれぞれ様々な色を持っていて、そのすべての色が違う役割を持っていて、それぞれが素晴らしい。例えば、自己主張が強すぎて、他の色を潰してしまう色があるかもしれない。逆に自分を出すのが苦手で、描いても薄くしか色がつかないかもしれない。でもそれは、たまたま健全な状態じゃないってだけで、自分の色をしっかり自分で認めてあげて、他の色に配慮しながら自分の色を主張すれば、調和のとれた1枚の素晴らしい絵が出来上がると思うんです。


大切なのは、まず自分の色を自分で見ること。自分の色を認めてあげること。他人の色と自分の色の距離を適度に保ち、調和のとれた絵を描くことを心がける。じゃないかと思います。


僕は、人の能力や性質というものに興味を持ち、学び、カウンセリングを通じて深めた結果、世界がこんな風に見えるようになりました。


人が色鉛筆のように見える。良い色も悪い色もないんだって思える。

名鉄岡崎公園前駅にて
名鉄岡崎公園前駅にて
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「人付き合い五段活用」と「幸せになるために必要な人」の話。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。


今日は、北岡崎駅近くの喫茶店(カフェではなく)でカウンセリングをさせてもらっていました。10時から15時までタップリ5時間、相手の方からは「迷走してたところに光が差し込んだ気がしました。」といただき、ちょいと充実感を感じつつ、遅いランチをとっていました。


ぼーっとしつつ、ふと「嫌われる勇気」の一節が浮かびました。冒頭の「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」です。人間の悩みは「すべてが」対人関係の悩みだと言い切ってしまうところがアドラーの斬新なところで、心に刻まれている言葉です。


人間にとっては、それほどまでに対人関係の占める割合は多く、「悩み」がそうであるならば、いわんや「幸せ」をや。幸せだって対人関係により決まるのではないかと思いついたわけです。


例えばですよ、自分と誰かの関係性を考えてみてください。ネガティブな関係⇔ポジティブな関係まで、こんなグラデーションがあるのではないでしょうか。


1. 怒りを覚える人

2. 避けてしまう人

3. 当たり障りのない人

4. ちゃんと話せる人

5. 心から笑い合える人


仮に「人付き合い五段活用」と名付けてみました。←謎


少し言葉を補足します。一番ネガティブな関係が「怒りを覚える人」。思い出すだけで怒りがこみ上げてしまう人。次に、怒りはないまでも、つい避けてしまう、話をしていてもすぐに終わらせて立ち去りたくなる人。次に、特に心が動かず、事務的にやり取りをするような関係。そして、ポジティブな関係だと、自分のことをしっかりわかってくれていて、ちゃんと話せる人。一番ポジティブな関係は、自然に自分を出しても受け止めてもらえ、気があって笑い合える存在。


すると、こんなことが言えるのではないでしょうか。


  • 幸せな人生を送るには4と5の人を増やすこと
  • 1と2の人は自分を知る手がかりになる
  • 3の人はあなたの人生に必要のない人


幸せな人生を送るには、4と5、特に5を増やすこと。友達でもパートナーでも職場の仲間でも構いません。自分のことがわかってもらえない、心から笑い合える相手がいないことの寂しさといったらないでしょう。


1と2については、付き合っていると負の感情を生んでしまうのですが、単純に付き合いをやめてしまうというのはもったいない。なぜなら、負の感情が生まれるには理由があって、それが自分を知る手がかりになるからです。誰かが嫌いなのは、自分が求めるものを持っているから、または、自分自身の嫌いなところをその相手が持っているからなのかもしれません。


ちょっと冷たいような言い方になりますが、あなたの人生に必要ないのは、3の当たり障りがなく心の動かない人なのかもしれません。プラスにもマイナスにも振れない人。いてもいなくても特に影響のない人。もちろん、仕事だったり日常生活を送る上ではそんな存在もあって回っていくものですが、できれば4と5の人に囲まれて暮らしていたいものです。


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詩をうたっているように話したい。

先日嫁さんと話していて、僕が無意識に話した言葉に対してこんなひとこと。

「なにそれww
 歌の歌詞かなにかみたいw」

そして、僕は密かにグッとガッツポーズ。(心のなかで)

僕は常々、「うたっているように話したい」なんてことを思っていました。

歌にちゃんと触れたのは、高校生くらいだから、だいたいの人よりは遅れてて、多感な時期に音楽に触れていないなんて劣等感があったりしました。その反動で音楽が好きになり、高校〜20代前半くらいまで、ちょうど2000年前後の音楽シーンが熱い時期には、学校をサボって名古屋のCD屋をめぐり、聴き漁っていました。

洋楽(特にUKロック)に傾倒したりしていましたが、とりわけ日本語の歌詞については、常に興味がありました。歌詞の持つ力といいますか。メロディーに歌詞が乗ることにより、数倍にもなるそのエモーション。自分がこのアーティストが好きだっていう判断も、歌詞が基準であることが多いです。どれだけ歌や演奏が良くても、歌詞が響いてこなければ、好きになることはありません。

「言葉が持つ力」についての原体験は、ロックにおける日本語歌詞であることは間違いないかと思います。そんなこんなで、詩や言葉に対する興味が深まり、今に至るわけですが(かなりすっ飛ばしました)、ある時から、日常の中で自分が発する言葉が詩みたいだったいいなーなんて思うようになったのです。

このポエジーの哲学のページに、僕の詩に対する理解が載っています。

> 詩というのは言葉で表されます。
> その表面は薄く透きとおってしまうほどで、あたたかい生身を表現します。
> もろくて、だから、それに触れさせない人もいます。
> そんな内面を映しだすものだからこそ、詩を表現するのはすばらしいこと。

> 詩は軽快なリズムを持ちます。
> 弾性で、ウキウキさせる。
> どこにでもある言葉、当たり前の言葉すぎて、届かないこともあるけれど。
> その人の、心のある場所・経験・感情がそろわないと届かない。

> 詩を、ありのままで表現しているのは、とても美しいこと。

そんな言葉を、常に発していたいのですが。

ちなみに、嫁さんがツッコミを入れた台詞とはこんな言葉。

「それを友達と言わなかったら、なにを友達と呼ぶの?」 

人はみな誰かの役に立ちたい。でもただ役に立つだけじゃダメなのも人。

人はみな誰かの役に立ちたいのだ。


人はひとりでは生きられません。ひとりで生きているように見えても、必ず他人との関係の中で生きていて、誰かとつながることで自分を実感できる。そして、誰かの役に立った時に、充実感を感じる。


「自己肯定感」とかって言うんでしょうか、自分は誰かの役に立っているんだって思うことで、自分は存在していていいんだーって感じることができるんだと思います。


ここまでは、おそらく問題ないでしょう。もし「いやそんなことはないぞ」という方がいたら、話が長くなってしまうので、ここで離脱していただくとして・・。


ただ役に立つだけじゃダメ。


ここからは、僕個人の話になるのですが、仕事で成果が出て褒められても嬉しくない。そんな経験をしたことがあります。自分でもひねくれてるなーっ思うのですが、そう思えないのだから仕方がない。頭じゃなくて心の方は正直です。


なんでだろうって考えていくと、ふたつのことに思い当たります。ひとつは、自分の能力がフルに使われている実感があること。ふたつめは、自分の心が動くことを、自分の心が動く人にする。こんな状態でした仕事で褒められたなら、僕は充実感でいっぱいになるんだろうなーと思うんです。


そんなことを人に伝えたら、こんな意見が返ってきました。


> I don't agree wthi you. 極端なことを言えば、隣にいるだけで喜んでくれる場合だってある


まあ、なるほどとは思うのですが、うーん。どうも、そこにいるだけで誰かの為になっているって(それってすごく素晴らしいことと思いつつ)、居心地悪いだろうなーって思ってしまいます。


ということで、今回の結論。この3つがそろうと「やりがい」になるのかも。


  • 誰かの役に立ちたい
  • 能力は使われたがっている
  • 自分の心が向く方向や人


自分の能力をフルに使って、自分の心が向かう誰かの役に立って、本当の充実感を得る。そんなことが、自分の自信を育ててくれるのだと思います。


自己肯定感についての、糸井重里さんのこの一文が好きです。


> 自己肯定感って、「わがまま」のことじゃないよ。昼寝している犬の寝顔みたいなものだと思うんだ。


自己肯定感は、求めると人に迷惑をかけてしまうものじゃなくて、犬の寝顔みたいに、当たり前にそこにあるもの。だとしたら、自然に充実感を得られるような、自分の能力を最大限使い、自分が心からしていって思える仕事をしていないなと、思う次第です。

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近所の本屋にて、ふたたび内海聡さんの勇気に震える。

延ばし延ばしになっている開業挨拶用のラベルシールの購入と、娘のための「おかさんといっしょDVD」レンタルが開始されているかなと、近所の三洋堂書店に行きました。


目的のものは残念ながら手に入らず、本のコーナーを覗きます。どこにでもある街の本屋さんなんですけど、ビジネス書コーナーの上から松岡修造、そしてビリギャルときて、こんまり、その横っちょに内海聡さんの新刊が並んでいました。


この世界を変える方法


ちなみに、セットで隣においてあったのは『99%の人が知らないこの世界の秘密』。街の本屋のこんなに目立つ場所に、こんなに過激な本が平積みされているのかと、感慨深い気持ちになったのは余談です。


手に取って「はじめに」を読み、熱いものが込み上げてきました。先日、講演会を聞いて涙してしまったのの再来です。


***


内海さんのFacebookを読めばすぐにわかるのですが、一般的な常識とはひどくかけ離れた過激な情報を発信しています。僕自身、すべてを盲目的に信じているわけではありません。では、なぜか。僕が強く惹きつけられるのは、内海さんのその「勇気」にあるんだと思います。


この本の「はじめに」部分でも、すべての人を敵に回すような、過激で挑発的なもの言いをします。そんな方法をとるのは、大きな存在に立ち向かう決意の表れからなんだと思うんです。笑われたり、罵声を浴びたり、炎上したりしても、なにも恐れずに、自分を曲げずに突き進む。それが勇気なんだって僕は感じました。


動機。


もし、内海さんの世界を変えたいという動機が「日本の明るい未来を」とか「人類の平和のために」だったりしたらどうでしょう。歯の浮くような台詞に笑っちゃうところですが、彼の動機は家族、特に娘への愛。こんな風に言い放ちます。


> この本であれ、ほかの本であれ、講演であれ、フェイスブックであれ、私のすべての活動の原点は娘であり、家族であり、あなた方ではなく、日本でさえない。あなた方が健康になろうが、日本が健全な国に戻ろうが、もしそうなったとしても、それらはすべておまけである。それくらい、日本人と地球人への深い軽蔑の中で、この本を書いているところが、もっとも皮肉的といえるかもしれない。


***


僕のちっぽけな決意。


僕は、いまの世の中はちょっとよくないなーと思っています。だから、小さいけれど、僕なりのやり方で世界を変えようと行動しています。 

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僕のカウンセリングに価値はあるんだろうか?

今日のカウンセリング。どうだったんだろう?と自問自答していました。


やり取りの中で、相手の方の笑顔をたくさん見せてもらいました。興味深く聞いてもらえたと思います。時には涙も。


でも、現実はがんじがらめで、僕が何かを言ってどうこうできない問題だったし、具体的な解決策は何ひとつ示していません。


「もっと自分を信じて、愛してあげましょう」

「あなたには、他の誰もが持ってない力を持ってるんです」

「この辛い思いをした経験が、才能なんです」

「憧れじゃなくて、自分が持ってるものを大切にしましょう」


具体的な解決策を提示しないまま、松岡修造ばりの熱いメッセージを送っていました。受け止めてくれたでしょうか。でも、こんな言葉は宙を滑っていって、2、3日後には消えてなくなってしまいそうで。


僕ができることといえば、心にランプを灯すことくらい。がんじがらめの現実から外に出る1歩踏み出す勇気を持ってもらうこと。どうせ逆らえない人に、自分の本音を出すほんのひとにぎりの勇気。


なんだか、カッコつけた言い回しになってしまったけど、そんな些細な力を持ってもらうことができたなら、僕がそこに存在した価値はあったのかもと思えます。


僕のやっていることは、心に火を灯す、暗闇の中を歩く手がかりとなるランプ。そうか、歩いて行くのはその人自身なんだから、僕ができるのはその程度のことなんだ。


吉本隆明さんがこんなことを言っていました。確か「人を救うなんてことはできねぇ、そんなことを思っちゃあいけねえんだ」みたいなことを。だけど、誰かの心に火を灯す、そのくらいのことを願っちゃあいけねえもんですかね? 

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子どもだけじゃない、大人だってあまのじゃくなのかも。

2歳を過ぎた娘が、あまのじゃくになってきたと、こないだ嫁さんが言っていました。なんでもヤダヤダ、わたしが言うことの反対のことを言うって。

そこで思い出すのは、僕が好きな「おかあさんといっしょ」のこんな歌。

> ひねくれものの あまのじゃく
> すなおになれない オニのこだ

> あさはおはよう ございません
> よるはおやすみ なさいません
> おなかすいたら いただきません
> でかけるときは いってきませーん

> だいすきなおやつも キライっていっちゃう


はじめて聴いたのはずいぶん前のことで、子どものやだやだ期ってこんなふうなんだ、上手に表現しているなーなんて聴いていたものです。

***

そして、このごろ思うのが、あまのじゃくって子どもだけじゃなくて、大人もそうなんじゃないかということです。

カウンセリングの勉強をしていて学んだことの一つに、「子どもの頃に欠けていたもの、足りなかったものがあると、大人になってからそれを求めるように行動する」ということがあります。なかったものは欲しい物の裏返し、自分が小さいころに欲しかったものに正直に向き合って、蓋をせずに求めることがよりよい人生を送る秘訣なんだと気づきました。

それと、カウンセリングをさせていただいた田口さんのこの言葉なんかも、はっ!とした気づきがありました。

> 人を知りたい人は、自分を深く知りたい人ってことです。
> ミズノ君も自分のこと、とても知りたいんだなぁと思ったよ。
> 救いたい人は救われたい人。助けになりたい人は助けがほしい人。
> 全部を楽しめる人は、自分を信じてる人。
> 枠にはまりたい人は安心がほしい人。

ちょうどそんなタイミングで、「よかったら相談にのりますよ」なんて声をかけつつ、実は自分が相談に乗って欲しかったんだ、っていう自分に気づいたりしました。自分のしたいことの裏返し、大人だってあまのじゃくですよね。 
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正直で本音の人って、どうしようもなく不器用な人だ。

ウソは書かない、本音のブログってことで3週間ほど書いてきていますが(平日のみ)、自分の本音に向き合うことの怖さ・業というものを日増しに感じています。日々、色々とままならないことばかりで、おとついの日も、衝撃的な現実をつきつけられて、立ちくらみがしそうになりつつも、なんとか立っているそんな感じです。

数年前の僕は、自分がイヤで変わりたい願望が強く「自分のやりたいことさえ見つかれば、人生すべてうまくいく」なんて盲信していたけど、見つかって視界が開けたと思えば、次の壁。人生やこの世の中って言うのは、1歩進むごとに違う世界を見せてくれ、一筋縄ではいかないことを思い知らされます。

そんな中でも、今までの僕なら、ポキっと折れてしまいそうな衝撃でも、なんとか立っていられるのは、自分の真ん中に通っている芯を見つけたからでしょうか。「本当のことが知りたい」・・こいつがなかなかの厄介者で、自分を支える芯であると同時に、とてつもない暴れん坊であるという。

***

おとついの出来事では、ふたつの発見がありました。「自分の信じていた世界を裏切られることがある」でも「自分と価値観を共有できる理解者ってのは少ないけれど存在する」ということ。それならば、自分とは違う世界を生きる人とは距離をおいて、自分と同じボールを持つ人を探し続けるってのが、幸せになる1歩じゃないかと思うんです。

本音で生きるって、不器用で生きづらいってわかっていても、そうやって生きていこうって決めたから、そうする。ブレることだってあるかも知れないけれど、心の中にランプを灯したのだから。

次の日の朝、電車の中で本を開いたら、間違っていないよって僕の背中を押してくれる言葉に再会しました。

『正直は最大の戦略である』 
引用元:インターネット的 糸井重里 著
引用元:インターネット的 糸井重里 著
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ポエム#2 同じ色のボールを持つ人

同じ色のボールを持つ人

世の中には2種類の人間がいて
ひとつは自分と同じ色のボールを持つ人
もうひとつは自分とは違う色のボールを持つ人

人生が自分と同じ色のボールを持つ人を
集めるゲームだとしたらどうかな?
ひとり集めると得点1 幸せがひとつ増える

自分と同じ色のボールを持つ人は
そうだな 20人に1人くらいのものだから
あんまり出会えないんだ

人に会ったら自分のボールを差しだして
同じかどうか確かめる
色んなところに出かけて 探してみよう

難しいのは
自分のボールの色がわからなかったり
自分のボールを隠してしまうこと
相手が同じ色のボールをもっていても
同じだって見つけてもらえない

だから自分のボールをよく見つめて
大切にしよう

見つめてみてさ
変なかたちだとか変な色だとか
思うかも知れないけれど
だいじょうぶ
同じボールを持つ人は
世界の何処かに必ずいる

同じボールを持つ人ってのは
わかりやすく言うと

友達とか仲間ってことだと思うんだー 
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「この人が好きだ」というのは「この人といるときの自分が好きだ」ということby坂爪圭吾

ある男に、坂爪圭吾さんおもしろいよって薦められてFacebookフォローしていたら、ある日のブログでこんなメッセージに出会うわけです。

> 「この人が好きだ」というのは「この人といるときの自分が好きだ」ということであり、自分を嫌う努力をするよりも、自分を好きでいられる時間や空間や人間を大切にしていきたいと思っている。

よっぽどの人ではない限り、人から好かれたいというのは万国共通の、人間の基本的な欲求です。ただ、その誰かを「好きだ」「嫌いだ」って言う感情の生まれる源ってなんだろう?なんて、考えたこともありませんでした。

そこでポンと手を打つ。その答えの一つがこれじゃないでしょうか。

「この人といるときの自分が好きだ」

好き嫌いという感情が生まれる源。
もしかしたら、「嫌い」の感情の方がイメージしやすいのかもしれません。
この人といると「つい攻撃的になってしまう」「怯えてしまい話ができない」「ウソをついて自分を守ってしまう」・・そんなイヤな自分が出てきてしまう=この人のことが嫌い。

逆に、この人といると「自然体の自分でいられる」「想像力が掻き立てられる」「ちょっとくらいトチっても受け止めてもらえる」=この人のことが好き。

人っていうのは、相対的なものなんだなと気づきます。誰かといるときは、ポジティブな自分になれるから好き。ある誰かといると、ネガティブな自分になるから嫌い。絶対的な基準なんてないんじゃないかと思います。

であれば「この人といるときの自分が好きだ」と思える時間をできるだけ増やすこと。幸せになりたいと願うなら、このことに向き合う必要があるんだなーって気づきます。

再度、坂爪さんのブログに戻ります。

> 私は青く、いつまでも青春を続けていたい(大人になりたくない)という気持ちを未だに持ち続けていて、結局、好きなひととできるだけ一緒にいたいからいばやという会社をつくったのかもしれない、などと思うことがある。

僕だってそう思います。好きな人に囲まれて、自分を心から好きだって思えるような時間をたくさん持ちたい。
願わくば、「あなたといると素の自分を出せる」「ついつい本音を話しちゃうから楽になれる」そんな人になりたいと思うのですが、・・まだまだ道は遠そうです。

道を見つけたなんつっても、まだまだヒヨッコの0歳児。信念がぐらっと揺らぎそうなことだってありますが、この言葉を道しるべにして。生きる。

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相手の本音を聞きたければ、まずは自分の本音を差し出そう。

今日は、心を通わすことのできる友達とゴハン食べながらおしゃべり。
どんな流れからだったか、そうだ、夫婦の話をしていてだ、僕の口をついて出てきたのがこの言葉です。

相手の本音を聞きたければ、まずは自分の本音を差し出そう。

僕がこの言葉を手に入れたのは、遡ること数日。母親との会話の中からでした。
その時のことは、以前このブログ母親と話した「勇気を持つこと」について。に書きましたが、もう少し付け加えるとこんな会話をしました。

***

父親に本音を語ってもらいたいなら、まずはあなた(母親)が本音を語らないとダメだよ。
「実はね、わたしは、本当はこうやって思っていたのよ」と、心の奥にしまってある本音を差し出さないと、お父ちゃんは本音を語ってくれないよ。本音を聞きたいのなら、まずは自分から本音を差し出すこと。

***

人生の先輩(しかも実の産みの親)を捕まえて、何を偉そうにって自分で思いつつ、熱く語っていました。

これは自分の実体験から得たことなので。自分の心の奥底に隠していたことを外に出し始めたら、本音で話をしてくれる仲間が現れ、ものごとが前に進んでいる感覚が今まさにしてるんです。

これで母親が動くかはわかりません。でも、僕は本音でぶつかりました。後は野となれ山となれ、だ。
さあ、自分の信じた道をいくぞー。 
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「ありがとう」の反対は「あたりまえ」。そして「あたりまえ」が「ありがとう」だ。

少し前、こんな記事をネット上でよく見かけました。
なるほどね、なんて多くの人に拡散されていました。

***

> あなたは「ありがとう」の反対を知ってますか?

> ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。

> 教えてもらった答えは・・・

> 「あたりまえ」

> 「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
> 「有難(ありがた)し」という意味だ。

> あることがむずかしい、まれである。
> めったにない事にめぐりあう。

> すなわち、奇跡ということだ。

> 奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」

> 我々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。

> 歩けるのが、あたりまえ。

> 目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。

> 手足が動くのが、あたりまえ。

> 毎朝目覚めるのが、あたりまえ。

> 食事ができるのが、あたりまえ。

> 息ができるのが、あたりまえ。

> 友達といつも会えるのが、あたりまえ。

> 太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。

> うまれてきたのが、あたりまえ。

> 夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。

> そして…

> 生きているのが、あたりまえ。

以下略

***

ホントそうだよなーなんて思いつつ、ちょっと別の角度から考えてみました。

仕事でもなんでも、「あたりまえ」のことができていないことってよく耳にします。

ビジネスシーンなら、「お客さんのために、なんていう当たり前のことができてない」とか、僕らの業界なら「使う人のためになるホームページを作るのが当たり前でしょ」とか。

そんなことを考えると、「あたりまえ」ができてこその「ありがとう」なんだなーと思うんです。

最近よく感じるのが、プロと名乗ってお金をとっていても、「あたりまえ」ができていない人がこの世にはいるんだってこと。

要望がちゃんと汲み取れず、希望の髪型をつくることができない美容師。
見た目だけはいいけど、機能しなくて、その会社のビジネスに貢献しないホームページを作っちゃうウェブ制作者。
話を聴くことができず、自分の売りたいものだけを勧めるだけの営業マン。

仕事をする上では、「あたりまえ」ができなかったら、そこには「ありがとう」はなくても仕方がないのだと思う。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」であり、
「あたりまえ」が「ありがとう」だ。
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人間がつく嘘のうち、無意識の嘘が99%で、意識的につく嘘は1%


自分探しの旅は終えましたが、「本当のあなたをさがす旅」なんて言われるとついつい気になってしまい、性懲りもなくこんな本を読んでおります。


読み進めていくと、こんな一節が登場しました。引用します。

> 人間がつく嘘のうち、無意識に口から出てくる悪気のない嘘が99%で、意識的につく嘘は1%ほどではないかと思います。

僕が最近考えていることと同じで、びっくりしたと同時に勇気づけられました。

以前こんなブログを書きました。2014年7月5日のことです。


> 嘘には2種類ある。目に見える嘘と、見えない嘘。

> 「目に見える嘘」はわかりやすい。寝坊して遅刻したのに、道が混んでましたと言えばそれは目に見える嘘。誰もが一度はついたことがあるはずだし、もちろん僕もついたことがある。

> 「見えない嘘」とはなにか?

> 目に見える嘘を「意識的につく嘘」と言い換えるとわかりやすいかもしれない。‥‥その反対だから「意識せずにつく嘘」のことである。

> さすがに、いい歳になり意識的に嘘を付くことはそうそうないが(ゼロではないのだろうなあ)、見えない嘘=意識せずにつく嘘は、それこそ毎日ついているというのが、この頃の僕の見解である。

> つまり、ほんとうにありたい自分を押さえ込んで暮らしている。ほんとうだと信じていることが怖くて言えない。それの繰り返し。

> さらに、この世の中の大半の人が僕と同じように、見えない嘘をつきながら日々を過ごしているのではないか?という気がしてならないのである。

そして、ポエジーの経営理念の説明では、こんなメッセージからはじまります。

> この世の中にはウソがあふれている。
> 誤解を恐れずに言えば、僕はそんな風に世の中を見ています。

正直、こんなことを書いてしまっていいのだろうか?とドキドキしながら書きました。今でも、若干その感覚は残っています。
言ってみれば、これを読んでいる人のことを嘘つき呼ばわりしているようなものですから。

それでも、書きました。
なんでかっていうと、自分でもうまく説明できませんが、これが自分の信じた道だからでしょうか。
自分で自分にウソをつきたくないという意思表示であり、僕が感じている世の中に対する問題意識。

そんな迷いを抱えつつ、不安と希望がごちゃまぜになりながら独立1年生を歩んでいる僕に、スーザンは勇気をくれたのでした。 
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カウンセリングを通じて感じた、いま問題を抱えている人の多くは、親の育て方に原因があるんだって気づいた話。

今日は、朝から1件、夜に1件と2名の方にカウンセリングをさせてもらっていました。
現時点で19名、明日の方で20名になろうとしています。

すると、あることに気づくんです。

カウンセリングでは、まず目標設定からはじめます。現状抱えている課題を聞き、それを解決できるように課題の周辺を探りながら話を進めていきます。

皆さんが抱えている課題は、人それぞれではあるのですが、現状つらい思いをしている人、苦しんでいる人の大半が、幼少期の親の育て方に要因があるってことに気付かされます。それはもう、びっくりするくらいに親の影響が現れているんです。

僕も、言ってみればその中のひとりでした。
僕が、親からどう育てられたかを思い出してみると、大きく2つあります。

1. 良く言えば、奔放に自由に育てられた。悪く言えば、放置された。
2. 本音を語らない、表面上の関係の中で育てられた。極端に言えばウソのコミュニケーション。

1の自由奔放であることは、どちらかと言えば良い方向に働いたのだと思います。

自由な環境の中で、自由な発想、自分独特の世界観を築くことができた。
比較的素直で、柔軟な考え方をする人間になった。

皆さんの話を伺っていると、親に押さえつけられたり、親の価値観を押し付けられたりすると、大人になってからも問題を抱えることが多いように感じます。

僕の場合、2の表面上の関係というのが厄介でした。

僕の少年時代といえば、本音を語らない、思ったことを話せない子どもでした。頭ではこうだって考えていても、言い出せない。たぶん、表面的な家族関係が原因じゃないかと思っています。
しかし、今では課題を克服して「本当のことが知りたい」なんて言って、本音を追求する人になっているのだから、面白いものです。

***

遅くとも、20歳までには人生の根本的な価値観が出来上がる。子どもの価値観に一番大きな影響を与えるのが親の育て方である。

自分も、少しは子育てに関わっているので他人事ではありません。僕らの子どもへの言動、接し方、行動習慣すべてが、子ども人生の基礎をつくっているんだと思うと、・・いろいろ考えてしまいます。

では、20歳までねじ曲がった価値観を形成してしまったら、その人はその後の人生ハッピーに生きられないのかと言われれば、僕は自信を持ってノー!と断言できます。

もしそうであるなら、スティーブ・ジョブズはiPhoneで誰もが簡単に人とのつながりを持てる世界を生み出すことはできなかったし、ココ・シャネルは、それまでの伝統的な女性のファッションを壊して、機能的な洋服を生み出すことはできなかったからです。

今日2つ目のカウンセリングで確信したこと。

子供の頃に形成されたネガティブな感情、ネガティブなエネルギーは才能に成りうる。何かを生み出す大きな原動力になる。
過去は変えられないのであれば、過去の出来事に一切の悪いことはないと全肯定する。
過去の出来事から生まれてくるネガティブなエネルギーを、人は自分の考え方しだいで、プラスの力に変えていくことができる。

そんなことを発見しました。

***

と、ここで、これ、母親が読む可能性があるので一言いっておくと、まーなんだかいろいろあったけど、息子は楽しく人生を生きているので、なんというか感謝していますよー。結果オーライ的に。

母親と話した「勇気を持つこと」について。

さっき実家で、気がつけば60歳になる母親に熱く語ってしまっていました。
内容は、ひとことで言うなら「勇気を持つこと」について。

最近、「勇気」という言葉がよく目に飛び込んできます。
自分が気になっているから目につくカラーバス的なことなのか、時代的に流行しているからなのかはわかりませんが。

アドラーの教えが書かれた本『嫌われる勇気』が話題になっていて、僕も心を熱くして読みました。ここで書かれていたのは、今の自分を変えるためには、一歩踏み出す勇気が必要だということ。

先日このブログに書いた内海聡さん講演会で感じた、一般常識・一般大衆の意見に流されず、自分の信念を持ち、ためらわず言い放つ勇気。

6/6は、ほぼ日17周年の糸井さんの言葉から、18年目の決意にこの言葉が登場します。

『勇気の年に向って。』

> いま始まったばかりの、これからの1年は、「ほぼ日」の短い歴史のなかで、いちばん勇気に満ちた年になると思います。

実家でテレビ見てたら、多部未華子ちゃんの「ドS刑事」(なんてタイトルだw)のクライマックスでこの台詞。

『誰かのために自分の勇気を使ったことがある?』

ここでも勇気。

勇気という言葉は、小学校の何年生で習うかは知りませんが、どこにでもありふれた言葉で、何度となく目にしてきた言葉です。
それが、30代半ばにして、その実態がようやく実感としてわかってきた気がします。
そして、勇気という言葉がどんどん好きになっている自分に気づきます。

***

僕ならば、勇気をこんな風に使うでしょうか。

自分を変えるには、自分の本音と向き合うこと
自分の本音を確かめたなら、それを外に出すこと
本音を話す勇気が、自分と周りと世界を変える力になる

僕は、ちっぽけな勇気かもしれないけれど、自分だけの道を歩いていく勇気を振り絞って、いまここを生きています。 
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ポエム#1 ひとの心が溶けだす瞬間

ひとの心が溶けだす瞬間

頑なでこわばっていた心が、柔らかく溶けだすとき。
言いにくいこと、言ったら恥ずかしいんじゃないかってこと、
自分の心の深くに閉じ込めていたこと、隠していたこと。
勇気を出して外に出した瞬間に、僕の心は引き寄せられる。

それは確かな熱量になって、僕を駆り立てる。
本音のメッセージが原動力となり、なにかが前に進む。
やっぱり、本音は前に進むためのエンジンなんだー。

自分を偽り、本当の気持ちを隠し、心に厚いバリアを張るひと。
僕の気持ちに火はともらない。
バリアは心と心と断絶し、摩擦を生む。

キミだけなのかい?
それとも、みんながそうなのかい?

じゃあ、いつも心を自由に解放してるひとってのは。
無条件に惹かれているのだろうな。

本音が溶けだす瞬間。
そのひとの、心の本音が溶けだす瞬間。

僕の心は吸い寄せられる。 
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これが天職?天職とはこういうことなのかい?コンセプトデザインの話。

言ってみれば自分探し系の僕は、独立を決意する前の数年間、自分が本当にやりたいことはなんなのか?自分の能力が最大限発揮できることはなんなのか?他人より上手にできてより感謝されることはなんなのか?と探し続けていました。

まとめてひとつの言葉にしてしまえば「天職を探していた」となるでしょうか。

と、ここで念のため辞書をあたっておきます。

> てんしょく【天職】
> 天から授かったつとめ。
> 神聖な職務。
> 自分の生まれつきの性質に合った職業。引用元:Google

わかるようなわからないような、非常にフワンとした答えが返ってきたので、僕なりの「天職観」みたいなものを書いてみようと思います。

先日、ある出来事の中で、これが自分の天職なんじゃないかしら?と感じたことがあり、こんな文章を書きました。

***

コンセプトデザイン
自分の天職が見つかったかもしれない話。

今日のオカビズ、5件目の相談で、いつものようにヘロヘロになりながら、相談者さんの話に耳を傾けていました。

お話の中から、重要なポイントを拾い上げ、言葉に落とす。
相手の脳を刺激する角度から質問を投げかけ、出てきた言葉を取り出して、表す。
散りばめられたバラバラの言葉を組み立て、力強く、意味のある言葉を紡いでいく。

神経が研ぎ澄まされて、ときおり鳥肌が立つ。
言葉のキャッチボール。自然と溢れ出す言葉。そして、機能美の創造。
その時間が楽しくって、充実感があった。
大袈裟に言えば奇跡みたいな時間。

さて、これをぼくは天職と呼んでみた。
勘違いじゃなければいいのだけれど。

***

以上を元に、もしこれが天職だったとしたら、天職の特徴とはこうなるでしょうか。

  • それをやっている時間に充実感、楽しさがある。時間を忘れる。
  • 神経が研ぎ澄まされて、自分の能力を100%発揮している感覚がある。
  • 触れる相手に感動を生む、強いポジティブな影響を与える。

さらに、一生続けても苦になることはなく、深め続けることができる。他人より上手にでき、感謝され評価される。このあたりは、今後続けていかなければわからないのだけれど。

そして、今僕が感じているのは、天職は自分をより深く知りることによって、意図的にデザインすることができるのではないか?という可能性です。自身を持ってして検証していきたい所存です。
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本当のことを言うひと、内海聡さん講演会@東郷町いこまい館にて。涙が止まらなかった話。

少し前の話題なのですが。
5/18(日)のことなので、会社を退職し自由な時間を得て、新しい事業の準備中。
これからどうなっていくかわからない希望と不安にまみれたタイミング。
「本当のこと」を追求しながら生きていこうと決めたが、そんな生き方ができるのかと葛藤の最中。

僕が以前から追いかけている「本当のことを言うひと」内海聡さんの講演会が東郷町であるとのことで行ってきました。※講演会情報 

講演タイトルは

子どもを守るために〜知っておきたい世界の裏側〜

自己アイデンティティの確立

  • あなたは何者なのか?
  • あなたは何をすべきか?
  • あなたはどこから来たのか?
  • 自己のルーツについての検討
  • 生きる目的とは何か?
  • 何のために働くのか?
  • 20歳までに確立しておくこと
  • 何時間でも人に語ることができるか?
  • 外見と中身と美

「これらの質問に、自分の言葉で答えられ、たとえ3時間でも講演できるほどであれば、揺るがない存在だ」とのこと。

僕の目指す方向性とぴったり一致し、とても共感。

しかし、果たして僕は、3時間でも語ることができるだろうかー?

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ビジネスにおける詩をコンセプトと呼ぶ。

大抵のひとにとっては、いちばん身近にある「詩」とは、歌の「歌詞」ではないかと思うんです。
そして、少なからずなにかしらの歌を聴いて、メロディーにのせられた歌詞がすうっと心のなかに入ってきて、感動した経験があるのではないでしょうか。

楽しくなる、陽気になる、うれしくなる。切なくなる、悲しくなる、共感して落涙する。

歌詞は、細かく分解すれば無機的な言葉の羅列でつくられます。その言葉がつながることにより、ある一定の意味を持ち、それが僕らの内面を刺激して、心を動かします。

詩は、言葉であり、その人にとって重要な意味を呼び起こし、心を動かすもの。

いつもそうなるのではなく、過去の体験、今の状況に反応するため、響く場合・響かない場合、同じ言葉を聞いても響く人・響かない人がいます。

これが、僕の詩に対する理解です。

ビジネスにおける詩をコンセプトと呼ぶ

ある日、そんな着想を得てこんな文章を書きました。

今日はオカビスの研修の一環で、中小企業支援のトップランナー、小出宗昭さんの相談風景を見学させてもらった。
その光景は圧巻で、わずかな時間の中で、相談者さんの課題を汲みとり、納得感のある方向性を示していた。
小出さんは、ある意味「詩人」だとも言える。
相談者さんが悩みを語り、これに対し小出さんが一遍の詩を語ると、相談者さんの心にあかりが灯り、前に進む勇気をもらう。
言葉であること、大きな力を持つこと、触れる人に勇気を与えること。これが僕の「詩」と「コンセプト」に対する理解です。

僕の中で「詩」と「コンセプト」がつながりました。どちらも、僕が大切にしているもので、今後、将来にわたって追求していきたいテーマです。 
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道で急に「あなたは何のために生きてるんですか?」と聞かれて答えられますか?

もしあなたが、道を歩いていて、または電車で座った隣の席の人から、または授業中に先生にさされて、

「あなたは何のために生きてるんですか?」

と突然聞かれたら、なんと答えるでしょうか?

まー、まずそんなシチュエーションはあり得ませんが^^;
例えばの話です。例えばのねー。

僕は「アイデンティティコンセプト」なんてたいそうな名前をつけて、カウンセリングを受けてくれる方の「人生のコンセプト」を一緒につくっているのですが、この「人生のコンセプト」が、そのムチャぶり質問の答えになるのだと僕は考えています。

***

僕の人生のコンセプトは、

本当のことが知りたい。

です。

道で急に「あなたは何のために生きてるんですか?」と聞かれたら、こう答えるでしょうか。

「本当のことを追求するために生きています」

と。

それだけでは意味不明ですから、その後に補足で説明をすることになりますね。こんな感じになるでしょうか。

「本当のことというのは、自分って本当はどんな人間なんだろうって、ひたすら自分を掘り下げることだったり、世界の本質と言いますか、一般には知られていないけど、実は世界ってこんなんだよ!ということだったり、誰かの本音、つまり自分を偽ったり隠しごとのないコミュニケーションをすることだったりします」

それになんの意味があるの?とツッコミが入りそうな予感がヒシヒシとしていますが。

僕が個人的に、人生のコンセプトを知ってよかったなと思うこととして、

  • 自分に自信がついて発言できるようになった
  • 何かを選択するときの迷いがなくなった
  • 自分が進む道がおぼろげだけど見えた

こんなことがあるでしょうか。

もちろん、すぐに最強無敵のマリオのスター状態とはいきません。
自信をなくすことも、落ち込むこともありますが、それでも自分の真ん中に一本芯が通っているような気がしてブレることは少なくなったと思っています。

そんなこんなで、「クリエイティブで感動を生む。」だったり、「自分の世界を味わう。」だったり、「エンを広げる。」だったり、みなさんのコンセプトはそれぞれ個性的で違っているのですが、この言葉たちがみなさんの北極星となり、人生という名の航海を迷わずに進む力になってくれればなんて思っています。
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岐阜市立図書館の「本deドミノ」について、理想主義でお気楽なボクが思うこと。

岐阜市立図書館のリニューアルオープン企画「本deドミノ」が、ネット上で賛否両論の物議を醸し出しているようですね。

OKa-Bizでお世話になっている秋元翔治さんが情報発信して知りました。 
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この件に対して、ひとつ思うことを書いてみようと思うのですが。
ちなみに、僕はこういったことに対してはまったくの門外漢ですのでー。
素人意見程度、と受け取っていただければ幸いかと。


まず、そんな素人オトコの「初めてのチャレンジ」というものについての世界観がこちら。

  • 初めてのことなので正しいのか正しくないのかは誰にもわからない
  • そもそも歴史は後から評価されるものだし、初めてのことは大抵反対意見がでる
  • 勇気を出して切り拓く人がいないと、後に続くひともいない

みたいなところが、僕の基本的な姿勢にあります。
なので、どちらかというと初めてのチャレンジ賞賛派ですね。

といいつつ、世界を見ると「初めての取り組み」でもないようですが。(秋元さんのブログが詳しいです) 
シアトル公共図書館が、中央図書館の3階で、本を使ったドミノ倒しの世界記録に挑戦。

***

そして、ここからが僕の意見です。

皆さんの意見を読ませていただくと、特に反対意見の中に「本でドミノをするのは如何なものか」とか「本を粗末にしている」とか「子どもの教育よくないぞ」とか。
どうも表面的なラベリング、つまり、物質的な物への価値観や社会一般の常識で評価をしている人が多いように見えます。


僕が考えるもっとも重要な判断基準は、この1点と思っています。

ポジティブな感情に突き動かされたのか、ネガティブな感情に突き動かされたのか。

つまり、

この企画をした人の気持ちの中に、岐阜市民や本に対しての愛があったか?

ここ一点じゃないかと思うんです。
愛だろ愛wってことで。


そこに愛を感じられるのであれば、細かいことを気にして目くじら立てずに、温かい目で見守ってあげればいいんじゃないかなーと。
そんなことを、理想主義でお気楽なボクは思いました。

ちなみに、僕にはこの企画をした人たちの気持ちの中に愛があったか、はたまたよこしまな気持ちで企画したかはわからないので、賛成とも反対とも言いかねるのでした。 
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芸能人の話は面白いけれど、でも他人の話だ。

さっき、家に帰ったらダウンタウンDXがついていたので、夕ご飯食べながら見てました。

基本、面白いんですよねー、芸能人の話って。


高橋ジョージさんと離婚騒動してる人の話とか、中村玉緒さんの勝新太郎さんとのエピソードとか、女性なのにスーパー男性モデル目指してて、女性にキャーキャー言われている人とか、そっちから来たか、新しいなーとか。AKBにめちゃくちゃリアクションの大きい新人が入ったとか。


で、ふと気づいてしまうんですが。
あ、これって「他人の話」だって。

この四角い箱の中で行われている楽しいお話は、お前の話じゃない。お前にはどうすることもできない他人の話だ。お前には、本当に向き合うべきお前の人生があるのだ、と。自分の心が言ってるんですね。

芸能人の話は非日常で面白いし、テレビのは中の彼らは無抵抗だから、こちらが好きなようにいじってスッキリすることもできるし。

なんて思いながらも、ずるずる見てしますのですね。(あ、松ちゃん金髪にしたんだー。)

さて、つかの間の現実逃避はここまでだ。キミはキミの目の前の現実を見て歩いていかないと、少しだって前に進むことはできないんだぞ。なんて。

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書いてすぐ消した「触れるものみなハッピーにしていく人になりたいのだ。」について。

先日、夜中に少し気分が上がって、こんなことをFacebookにアップしました。

ものすごく大それた言い方をすれば、触れるものみなハッピーにしていく人になりたいのだ。なんつって。。。

そして、数秒もたたないうちに、思い直して削除しました。

その気持ちは、たぶん本当の気持ちなんですけど・・
でも、全然できてないなーって思ったから。
なんだか後ろめたくて、削除しました。

でも、もう一度この言葉に向き合ってみようと思い、いまパソコンに向かっています。

***

「触れるものみなハッピーにしていく人」
それってどんなひとだろう?って考えてみました。

一緒にいるとポジティブな感情が伝染するような人。それは、その人自身がその瞬間瞬間を楽しんでいるからできること。

困ったことや悩んでいることに対して、人へのフラットな認識で、透明感のあるアドバイスができる人。主観を混ぜずに状況判断ができる人。

幸運を運んできてくれる存在。その人の言葉に耳をかたむけると、どこか素敵な場所に運んでくれそうな気がする人。

かなあ。

なんだか、すごい人だ。
でも、もしもなれるならなってみたいもんです。

そんな存在に近づくために、今の自分ができること。
自分の気持ちに正直になりつつ、分別を持つ。
他人にネガティブな感情をぶつけない。
感謝の気持ちはわかりやすいかたちで表す。

***

滞らないように 揺れて流れて
透き通ってく水のような
心であれたら
♪HANABI Mr.Children

そんな人なのかなーとも思います。 

先ほど公園のすべり台にて
先ほど公園のすべり台にて
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本当に怖いのは、他人の声じゃなくて自分の本音。の話。

無料カウンセリングをしている流れで、知り合ったある方。
僕よりもずいぶん先に行っていると感じる方。
達観していて、結果も出している方。

ちょっとしたやり取りをしていたら、こんな言葉が飛び出した。

超怖い声は他人の声ではなく、まさに自分の本音だよ~~!

一瞬、頭のなかに浮かぶ???マークみっつほど。

カウンセリングの最中もそうでしたが、先を行っている人が感覚的にポンポン語るものだから、こっちの理解が及ばないんです。

なんです、が!
後になって気づく。

本当に怖いのは自分の本音ってのはほんとにその通りで。
自分の中の本音に気づく、本音と向き合う、本音を咀嚼する。
その本音を貫くことによって、何が起きるか想像すると・・・
本音は何かを破壊する。ってことで。

でも、その破壊は次に何かを生むって信じられれば、怖くない。

生まれてくるものは何かわからないけれど、一歩前に進むことだけは確か。 
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ウソは書かないブログ。「ホントノトコBLOG」について

一日遅れで開業届を出してきました。
開業日は5月24日(仏滅)、提出日は5月25日(大安)でございました。

あっけないほどカンタンでした。
「業種」の欄は若干迷いましたけど、窓口の方と相談して、
コンサルタント業・デザイン業・広告業 ということで落ち着きました。

なんというか、○○業とくくれない、道なき道を行きたいタイプです、わたくし。
さて、このブログ「ホントノトコBLOG」について。

ひとことで言うと、こういったブログです。


ポエジー代表ミズノによるウソは書かないブログ。 代表コラムと代表ポエム(笑)で構成されます。※月〜金は毎日更新。


「月〜金は毎日更新」だなんて、威勢よく宣言しちゃいました。
ホントは苦手なんです、定期的に積み上げていくのって。
でも、自分で起業して、自分の足で立っていくなんて言ってるのに、そんな甘いこといってちゃねーってことで。

ウソは書かないブログ」なんて言ってみました。
僕の人生のコンセプトは「本当のことが知りたい。」なんです。
「本当のこと」をキーワードに書いていきたいなって思ってます。

本当のことってのは「僕の本音」であり「世の中では信じられていないけど本当はね・・」ということでもあります。

あと、たまにポエムも流れるかと思います。
将来、名刺に「コンセプトデザイナー/詩人」って書きたいなって密かに思ってます、ハイ。
さてさて、今日も本音で書きました。

明日も本音で生きたいなー。
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わたくしミズノ、ポエジーという屋号でフリーランスとして開業します。

開業日と決めた日が開業日。

フリーランスの場合、開業日にしっかりした決まりはないみたいですね。ゆるいといいますか。
会社を辞めて、自分で事業をはじめると決めたときから、実は開業日は決めてました。

今日は、5月24日。娘の2歳の誕生日です。
ええ、ひじょうにクサいおとこです。

娘は2歳。僕の事業は0歳です。
よちよち歩きすらできません。
娘ちゃんを追い抜け追い越せでがんばります。

退職してから今日まで。

4月30日に8年間勤めた株式会社ルーコを退職しました。
それから3週間と少し。

フリーランスには連休という概念はないものの、人並みにGWを楽しみました。
連休明けからは、名刺を作ったりホームページをつくったりと開業準備を進めました。
(といいつつ、その間、週2でOKa-Bizには行ってましたよー)

多分、混乱してます。戸惑ってます。
ってのが実感です。
あまりにも、今までの生活と違うので。

それと、不思議なことを実感しているんです、いま。
ちょっとした、ぷち奇跡が続けておきてるんです。
出会うものに必然性があったように感じられて、自分の人生が動き出している感じ。
ちょっとスピリチュアルですか。
確信はまだないですが、上昇気流をつかまえたのかもー。

このホームページのこと。

たぶん、怨念と呼べるくらい、僕の思いがつまってます。
ありったけつめこみました。人によっては、ちょっと重く感じてしまうかもですが汗

事業のはじめかたって、それぞれ百人百通りだと思います。
僕はこの方法を選びました。

思いの丈をすべてホームページに掲載する。
共鳴してくれる人を待つ。

です。

この方法が正しいかはわかりませんが、とりあえずやってみました。
いまこの文章を読んでくださっているアナタ。
こんなオトコですが、気が合いそうだなーと思ったらご連絡ください。

ブログ更新の宣言。

過去にSNSなんかでブログ更新宣言をしては、挫折。
そんなことを繰り返してましたが汗

ここに。
平日、月〜金は毎日更新することを宣言いたします。
イトイさんなんか、17年毎日更新だもんなー。)


以上、開業日のミズノがお届けしました!

月並みなご挨拶ですが、今後ともよろしくお願いします! 
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