このページは、独立時(2015年5月〜)のブログのアーカイブです。
旧ブログタイトル:「ポエジー代表ミズノのホントノトコBLOG」
自分の道が見えた2014年の年末、年が明けてから無料カウンセリングというものをはじめました。2015年1月からだから、5ヶ月ほど、20人ちょっとの人を見ました。
やっていることは、広く言うと人生相談です。その人の悩みを聞き、解決策をいっしょに探していく。その際に、ストレングスファインダーのような性格診断ツールや、デザインの手法を使っているというのが、一般のカウンセリングと違うところでしょうか。
そもそも、カウンセリングが何であるかもわからず、とりあえず名前をつけにゃわかってもらえないだろうということで、いくつか探した言葉の中から、一番しっくりくるカウンセリングを名乗っているのでした。だから、自分がカウンセラーであるのかどうかは、よくわからない。
そんな状況ではあるのですが、無料カウンセリングをしているうちに悟ったことがあります。
カウンセラーはその人を正しく映し出す鏡でなくてはならない。
カウンセリングとは、一方的に方向を指し示すものではなく、対話の中から気づきを得てもらうものだと僕は思っています。つまり、対話の中から、心の奥の言葉を引き出す。性格診断ツールで本来の自分を見える化する。それを見た本人が、自分を知り、どの方向に進めがいいのかを知るというもの。
カウンセリングがそんなものだとしたら、カウンセラーは鏡になっているんだと思ったんです。
人は、鏡がなければ自分がどんな顔をしているかを見ることができません。鏡があってはじめて、自分がどんな顔をしているかがわかる。湾曲した鏡であったり、曇った鏡だったとしたら正しい姿は映しだされません。
カウンセラーが、その人を正しく映し出す鏡でなければ、その人の真実を映し出すことはできない。つまり、その人が求めている本当の真実にはたどり着けない。
だからカウンセラーは、世界の原理原則を知っていて、フラットな意見を返すことができる。自分の主観を含まず、良し悪しのレベルではなく人の特徴を語ることができる。そんな人でなければ、つとまらないのではないかと思いました。
偉そうなこと言って、じゃあキミはできてるのか?って言われれば・・・まっすぐ真実を映し出せる鏡になれるよう、自分を磨いているところです。まだまだ先は遠いですが。
人が色鉛筆のように見える。
2015年の年始に、東京で開催されたストレングス基礎コースに参加しました。ストレングスファインダーの学びの場です。
ミズノの参加レポート:東京まで夜行バスで出掛けていって、ストレングス・ラボ主催「ストレングス基礎コース」に参加したメモ。
講座の参加者の方が言っていた言葉で、とりわけ印象に残っているのが「人が色鉛筆のように見える。」です。僕もその方も「個別化」という資質を持っています。「個別化」とは、人それぞれの個性に目を向け、個性を最大限に活かすことを良しとする性質。同じ「個別化」を持っていることもあり、僕も「人が色鉛筆のように見える。」という言葉に、確かにそうだ、と強く頷いたのでした。
それからしばらくして、カウンセリングも20人を超え、人についてのグラデーションがより顕著に見えるようになってきました。人はみんな、ひとつとして同じ色を持っていはいないのだけれど、この人とこの人は近い色を持っているなー、この人とこの人は真逆の色だ、なんてのが感覚的にわかるようになってきました。
良い色も悪い色もないんだって思える。
それで、最近強く思うこととして、良い色や悪い色はないんだってこと。12色の色鉛筆を目の前に並べられて「良い色から悪い色の順に並べてください」って言われてできますか?「好きな色から嫌いな色」なら並べられると思うけど、色に良い悪いはありませんよね。
人はそれぞれ様々な色を持っていて、そのすべての色が違う役割を持っていて、それぞれが素晴らしい。例えば、自己主張が強すぎて、他の色を潰してしまう色があるかもしれない。逆に自分を出すのが苦手で、描いても薄くしか色がつかないかもしれない。でもそれは、たまたま健全な状態じゃないってだけで、自分の色をしっかり自分で認めてあげて、他の色に配慮しながら自分の色を主張すれば、調和のとれた1枚の素晴らしい絵が出来上がると思うんです。
大切なのは、まず自分の色を自分で見ること。自分の色を認めてあげること。他人の色と自分の色の距離を適度に保ち、調和のとれた絵を描くことを心がける。じゃないかと思います。
僕は、人の能力や性質というものに興味を持ち、学び、カウンセリングを通じて深めた結果、世界がこんな風に見えるようになりました。
人が色鉛筆のように見える。良い色も悪い色もないんだって思える。
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。
今日は、北岡崎駅近くの喫茶店(カフェではなく)でカウンセリングをさせてもらっていました。10時から15時までタップリ5時間、相手の方からは「迷走してたところに光が差し込んだ気がしました。」といただき、ちょいと充実感を感じつつ、遅いランチをとっていました。
ぼーっとしつつ、ふと「嫌われる勇気」の一節が浮かびました。冒頭の「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」です。人間の悩みは「すべてが」対人関係の悩みだと言い切ってしまうところがアドラーの斬新なところで、心に刻まれている言葉です。
人間にとっては、それほどまでに対人関係の占める割合は多く、「悩み」がそうであるならば、いわんや「幸せ」をや。幸せだって対人関係により決まるのではないかと思いついたわけです。
例えばですよ、自分と誰かの関係性を考えてみてください。ネガティブな関係⇔ポジティブな関係まで、こんなグラデーションがあるのではないでしょうか。
1. 怒りを覚える人
2. 避けてしまう人
3. 当たり障りのない人
4. ちゃんと話せる人
5. 心から笑い合える人
仮に「人付き合い五段活用」と名付けてみました。←謎
少し言葉を補足します。一番ネガティブな関係が「怒りを覚える人」。思い出すだけで怒りがこみ上げてしまう人。次に、怒りはないまでも、つい避けてしまう、話をしていてもすぐに終わらせて立ち去りたくなる人。次に、特に心が動かず、事務的にやり取りをするような関係。そして、ポジティブな関係だと、自分のことをしっかりわかってくれていて、ちゃんと話せる人。一番ポジティブな関係は、自然に自分を出しても受け止めてもらえ、気があって笑い合える存在。
すると、こんなことが言えるのではないでしょうか。
幸せな人生を送るには、4と5、特に5を増やすこと。友達でもパートナーでも職場の仲間でも構いません。自分のことがわかってもらえない、心から笑い合える相手がいないことの寂しさといったらないでしょう。
1と2については、付き合っていると負の感情を生んでしまうのですが、単純に付き合いをやめてしまうというのはもったいない。なぜなら、負の感情が生まれるには理由があって、それが自分を知る手がかりになるからです。誰かが嫌いなのは、自分が求めるものを持っているから、または、自分自身の嫌いなところをその相手が持っているからなのかもしれません。
ちょっと冷たいような言い方になりますが、あなたの人生に必要ないのは、3の当たり障りがなく心の動かない人なのかもしれません。プラスにもマイナスにも振れない人。いてもいなくても特に影響のない人。もちろん、仕事だったり日常生活を送る上ではそんな存在もあって回っていくものですが、できれば4と5の人に囲まれて暮らしていたいものです。
人はみな誰かの役に立ちたいのだ。
人はひとりでは生きられません。ひとりで生きているように見えても、必ず他人との関係の中で生きていて、誰かとつながることで自分を実感できる。そして、誰かの役に立った時に、充実感を感じる。
「自己肯定感」とかって言うんでしょうか、自分は誰かの役に立っているんだって思うことで、自分は存在していていいんだーって感じることができるんだと思います。
ここまでは、おそらく問題ないでしょう。もし「いやそんなことはないぞ」という方がいたら、話が長くなってしまうので、ここで離脱していただくとして・・。
ただ役に立つだけじゃダメ。
ここからは、僕個人の話になるのですが、仕事で成果が出て褒められても嬉しくない。そんな経験をしたことがあります。自分でもひねくれてるなーっ思うのですが、そう思えないのだから仕方がない。頭じゃなくて心の方は正直です。
なんでだろうって考えていくと、ふたつのことに思い当たります。ひとつは、自分の能力がフルに使われている実感があること。ふたつめは、自分の心が動くことを、自分の心が動く人にする。こんな状態でした仕事で褒められたなら、僕は充実感でいっぱいになるんだろうなーと思うんです。
そんなことを人に伝えたら、こんな意見が返ってきました。
> I don't agree wthi you. 極端なことを言えば、隣にいるだけで喜んでくれる場合だってある
まあ、なるほどとは思うのですが、うーん。どうも、そこにいるだけで誰かの為になっているって(それってすごく素晴らしいことと思いつつ)、居心地悪いだろうなーって思ってしまいます。
ということで、今回の結論。この3つがそろうと「やりがい」になるのかも。
自分の能力をフルに使って、自分の心が向かう誰かの役に立って、本当の充実感を得る。そんなことが、自分の自信を育ててくれるのだと思います。
自己肯定感についての、糸井重里さんのこの一文が好きです。
> 自己肯定感って、「わがまま」のことじゃないよ。昼寝している犬の寝顔みたいなものだと思うんだ。
自己肯定感は、求めると人に迷惑をかけてしまうものじゃなくて、犬の寝顔みたいに、当たり前にそこにあるもの。だとしたら、自然に充実感を得られるような、自分の能力を最大限使い、自分が心からしていって思える仕事をしていないなと、思う次第です。
延ばし延ばしになっている開業挨拶用のラベルシールの購入と、娘のための「おかさんといっしょDVD」レンタルが開始されているかなと、近所の三洋堂書店に行きました。
目的のものは残念ながら手に入らず、本のコーナーを覗きます。どこにでもある街の本屋さんなんですけど、ビジネス書コーナーの上から松岡修造、そしてビリギャルときて、こんまり、その横っちょに内海聡さんの新刊が並んでいました。
ちなみに、セットで隣においてあったのは『99%の人が知らないこの世界の秘密』。街の本屋のこんなに目立つ場所に、こんなに過激な本が平積みされているのかと、感慨深い気持ちになったのは余談です。
手に取って「はじめに」を読み、熱いものが込み上げてきました。先日、講演会を聞いて涙してしまったのの再来です。
***
内海さんのFacebookを読めばすぐにわかるのですが、一般的な常識とはひどくかけ離れた過激な情報を発信しています。僕自身、すべてを盲目的に信じているわけではありません。では、なぜか。僕が強く惹きつけられるのは、内海さんのその「勇気」にあるんだと思います。
この本の「はじめに」部分でも、すべての人を敵に回すような、過激で挑発的なもの言いをします。そんな方法をとるのは、大きな存在に立ち向かう決意の表れからなんだと思うんです。笑われたり、罵声を浴びたり、炎上したりしても、なにも恐れずに、自分を曲げずに突き進む。それが勇気なんだって僕は感じました。
動機。
もし、内海さんの世界を変えたいという動機が「日本の明るい未来を」とか「人類の平和のために」だったりしたらどうでしょう。歯の浮くような台詞に笑っちゃうところですが、彼の動機は家族、特に娘への愛。こんな風に言い放ちます。
> この本であれ、ほかの本であれ、講演であれ、フェイスブックであれ、私のすべての活動の原点は娘であり、家族であり、あなた方ではなく、日本でさえない。あなた方が健康になろうが、日本が健全な国に戻ろうが、もしそうなったとしても、それらはすべておまけである。それくらい、日本人と地球人への深い軽蔑の中で、この本を書いているところが、もっとも皮肉的といえるかもしれない。
***
僕のちっぽけな決意。
僕は、いまの世の中はちょっとよくないなーと思っています。だから、小さいけれど、僕なりのやり方で世界を変えようと行動しています。
今日のカウンセリング。どうだったんだろう?と自問自答していました。
やり取りの中で、相手の方の笑顔をたくさん見せてもらいました。興味深く聞いてもらえたと思います。時には涙も。
でも、現実はがんじがらめで、僕が何かを言ってどうこうできない問題だったし、具体的な解決策は何ひとつ示していません。
「もっと自分を信じて、愛してあげましょう」
「あなたには、他の誰もが持ってない力を持ってるんです」
「この辛い思いをした経験が、才能なんです」
「憧れじゃなくて、自分が持ってるものを大切にしましょう」
具体的な解決策を提示しないまま、松岡修造ばりの熱いメッセージを送っていました。受け止めてくれたでしょうか。でも、こんな言葉は宙を滑っていって、2、3日後には消えてなくなってしまいそうで。
僕ができることといえば、心にランプを灯すことくらい。がんじがらめの現実から外に出る1歩踏み出す勇気を持ってもらうこと。どうせ逆らえない人に、自分の本音を出すほんのひとにぎりの勇気。
なんだか、カッコつけた言い回しになってしまったけど、そんな些細な力を持ってもらうことができたなら、僕がそこに存在した価値はあったのかもと思えます。
僕のやっていることは、心に火を灯す、暗闇の中を歩く手がかりとなるランプ。そうか、歩いて行くのはその人自身なんだから、僕ができるのはその程度のことなんだ。
吉本隆明さんがこんなことを言っていました。確か「人を救うなんてことはできねぇ、そんなことを思っちゃあいけねえんだ」みたいなことを。だけど、誰かの心に火を灯す、そのくらいのことを願っちゃあいけねえもんですかね?
講演タイトルは
子どもを守るために〜知っておきたい世界の裏側〜
自己アイデンティティの確立
「これらの質問に、自分の言葉で答えられ、たとえ3時間でも講演できるほどであれば、揺るがない存在だ」とのこと。
僕の目指す方向性とぴったり一致し、とても共感。
しかし、果たして僕は、3時間でも語ることができるだろうかー?
さっき、家に帰ったらダウンタウンDXがついていたので、夕ご飯食べながら見てました。
基本、面白いんですよねー、芸能人の話って。
で、ふと気づいてしまうんですが。
あ、これって「他人の話」だって。
この四角い箱の中で行われている楽しいお話は、お前の話じゃない。お前にはどうすることもできない他人の話だ。お前には、本当に向き合うべきお前の人生があるのだ、と。自分の心が言ってるんですね。
芸能人の話は非日常で面白いし、テレビのは中の彼らは無抵抗だから、こちらが好きなようにいじってスッキリすることもできるし。
なんて思いながらも、ずるずる見てしますのですね。(あ、松ちゃん金髪にしたんだー。)
さて、つかの間の現実逃避はここまでだ。キミはキミの目の前の現実を見て歩いていかないと、少しだって前に進むことはできないんだぞ。なんて。
そんな人なのかなーとも思います。
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